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執筆者の写真田中真美子

人生は伏線回収 自分史⑤公務員退職の決断

更新日:11月29日

こんにちは!

豊田市のパワースポット

自分開花サロンBe-jin主宰

内なる調律師 田中真美子です。


シリーズでお伝えしている自分史シリーズ

だいぶ間が空きましたが

久しぶりに書いてみたいと思います。




前回までの記事はこちら



今回は、私の人生最大級の転機

公務員を辞める決断についてです!


私が公務員を退職したのは45歳の時

でも、実はすでに20代の頃から

なんとな〜く

早めに退職して、何か違うことをしたいと

思っていました。


なぜかと言うと

当時の公務員の定年は60歳

仮に80歳まで生きるとしても20年もある


その20年間、何もしないと言うのはないなー

一生何か、仕事していたいなと思っていたから


その「早め」というのは、なんとなく55歳と

思っていたのですが、だいぶ早まりましたね。


でも、大正解でした。

おそらく、55歳まで、市役所にいたら

惰性でそのまま定年まで勤め続けていたと思います。


そんな気持ちを持ちながらも

市役所の仕事は、

総じて楽しくやらせてもらっていました。

(まあ、もちろんいろんなことありましたけどね。)


今になってわかるのですが

私は、自分でアイデアを出して、企画して、

それを実現する方が得意で

決められたルールの下、そのルールにそって

何かをやることは苦手だし、好きではない。

ついついアレンジしたくなる。


つまり、全く公務員に向いていない!笑


それでも、23年も続いたのは


・建築系の技術職だったので

市役所の中では、クリエイティヴな仕事だったこと


・子育てしながら働くには、とても良い環境だったこと


・公務員推しだった病床の父に、

結婚しても辞めるなと言われていたことが、

脳裏に焼き付いていたこと


が大きな理由です。


そして、いつか!何か!

きっと美容と健康系なんだろうな

と思いながら、

明確な何かがあったわけではないので

公務員を続けていました。


そして、いよいよ具体的な方向性が見えてきたのが、昼ヨガを始めたころ



昼ヨガについては⇧こちらで詳しく書いていますが

昼休みに会議室で、みんなでヨガをやっていて、

みなさんが、頭がスッキリする

などの感想を下さるのが嬉しくて

やっぱり、健康に関することを

仕事にしたいなと思うようになりました。


その後、ボディートーク療法と出会い

私のやりたかったことは、これだ!!

と確信し、仕事しながら、資格を取りました。


当時、子供は、中学生と小学生

まだまだ手のかかる時期だったけど

幸い義両親がとても理解のある人で

全面的に協力してくれたので

助けてもらいながら、勉強していました。


自分の興味あることの勉強は、

本当に面白くて、

記憶力と集中力の低下をヒシヒシと感じながらも、とても楽しかった!


そして、資格を取得し、

親戚や友人に施術させてもらっていました。


すごく楽しくて、ずっとやっていたい!

と思っていましたが


公務員なので、副業ができないこと

フルタイムで働いていると

時間もエネルギーも、

それほど注げないことから

いつか、これを本業にしたいなと

思うようになりました。


すると、いよいよ、転機になる出来事が

起こります。

(人生、ほんと、よくできていると思います!)


ちょうどその頃、

まちづくりのソフト事業の部署が立ち上がり

そこに配属されたのです。


部署ができたものの

何をどうやって進めて行くか

全く決まっていない

前例もない

チーム全員が、顔を見合わせて

さあ、どうする?

と言うところからのスタートでした。


しかも、当時の重点取組で、タイトスケジュール

関わる相手は「まち」と言う

相手がいるようないないような・・

そして、私は、まちづくりはズブの素人

不安材料満載でした!


加えて、上司が、

めちゃくちゃ細かくて心配性ときていて。。


私は、毎日、その上司に

あれはどうなっている

こんな想定はしているか

などなど、心配のシャワーを浴びせられ

帰り道に涙を流すこともしばしば

ついには、出勤しようとすると

涙が止まらくなりました。


流石の私も、これはやばい!と思い、

心療内科を受診し

少しお休みさせてもらうことにしました。


これが、とても良いきっかけになったのです。

それまで、しんどくても

私がやらないと!

私が休んだら迷惑をかけてしまう

と、歯を食いしばってやってきたけど

私が休んでもなんとかなるんです。笑

(もちろん、周りのみんながフォローしてくれたからですが)


私なんて、組織の一員、

一人いなくなったところでどうとでもなる

と、いい意味で力が抜けたんです。


と、同時に、市役所の仕事は

もう卒業してもいいかなとも思いました。


それまで、

・市立の建物を作る部署

・確認申請の審査をする部署

・スポーツ振興やスポーツ施設の管理をする部署

を経て


最後がまちづくりの部署

実は、まちづくりの仕事は、

やってみたいと思っていた仕事で

その後、どこの部署に行きたいかと考えても、

やりたいなと思う仕事は

もう、市役所の中になかった。


と言うことで、いよいよ

市役所卒業の時が近づいてきたのですが

やはり、最後の決心をするには

もう少し時間が必要でした。


心療内科を受診し、病気休暇をとったのが

2016年1月

最初、その年度末で、退職しようと思いました。


でも、まちづくりのプロジェクトは

その年度の4月に始まったばかり

その年度末で離職するのは

あまりにも中途半端でした。


そして、ありがたいことに

当時一緒に仕事をしていた

まちづくりコンサルさんが

とても強く引き留めてくださったのです。


そこで、自分の中で「あと、一年」と決め

最後の年は、自分の中で

公務員の総仕上げのつもりで仕事をしました。


誰にも相談せず、

自分の中でそう決めていましたが

もちろん、揺らぐこともありました。


安定した収入を手放すこと

公務員という、肩書きを手放すこと

組織に守られていることがあるのもわかっていたし

公務員だからできる仕事もある

大好きな仲間たちもたくさんいる


いざとなると、そのすべてを手放すことへの

恐れが湧いてきました。


それでも、心の奥では、結論が出ていて

本当に大丈夫かと問いかけてくる頭を

説得するような形で、

一つ一つ不安材料を消し、

自分の本当にやりたいことは何なのか

丁寧に聞いていく作業をしていました。


遺言のようになっていた父の言葉も

子育ての山は超えたしもういいよね。

ということにして…


2017年3月31日

勤続23年の公務員生活に終止符を打ったのでした。



【前回の記事】


【次回の記事】


【元公務員の悟りの登山日記シリーズ】



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