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執筆者の写真田中真美子

人生は伏線回収 自分史③最初の夢を叶えるまで

更新日:7月30日

こんにちは!

豊田市のパワースポット

自分開花サロンBe-jinの田中真美子です。


シリーズでお届けしている自分史

興味ある人なんていないかも・・

と思いながら書いていますが

意外に反響があり、喜んでおります。

ありがとうございます。


前回までの記事はこちら


今回は一つ目の夢を叶えるまで

という視点で書いていこうと思います。

 


私の人生最初の夢は

「自分で設計した家に住むこと」でした。


小学校の卒業文集の

「21世紀のぼく・わたし」

という寄せ書きにそう書かれています。



 私が住宅に興味を持ったのは、

小学校1年生のころ。


自宅を建て替えることになって、

両親が平面をあれこれ考えているところに参戦したり、


設計士さんとの打ち合わせを

横で聞いていることや、

家ができていく様子を見るのがとても楽しかった。

 

それ以来、住宅の広告を見たり、

インテリア雑誌を見るのが好きになりました。

ひょうきんとか書いてある。笑


そして、卒業文集の寄せ書きに

「お金をためて、自分で設計した家を建てて住んでいる」

と記したようです。


今の家

設計は、平面の案を自分で考えたくらいで、

設計士さんにお願いしましたけど、見事に叶ってる!

 

 

でも、そのころの私は「建築士」

という職業があることを知りませんでした。

 

 私が建築士という職業について知ったのは、

中学2年生のとき。


これもまた運命だと思うのですが、

その時の担任の先生が女性のとってもパワフルな先生でした。

 

 

何かの話から、

「これからは、女性も仕事を持って、

バリバリやっていく時代だから」と言って、

本を貸してくれたんです。


題名も内容も覚えていないのですが、

活躍している女性の職業について

書かれていたような気がします。

 

その本を読んで建築士という

職業があるということを知り、

私は、それになろうと決めました。

 

それで、中学3年生の時、

豊田高専の建築学科に行きたいと言ったのですが、

成績が追いつかず、

しかも私は文系科目のほうが得意だったので、

先生に難しいと言われ断念。

普通科高校に入学しました。

 

2年生から文系と理系に分かれますが、

当時は建築といえば、

工学部でしか学べなかったので、

建築学科に行くなら、理系に行く必要がありました。


物理も数学も嫌いだったけど、

何とか必死で勉強して、理系コースに進みました。

 

 

クラスの女子は2割弱。

男子には、女子はいないものだ

という扱いを受けていましたwww


今でこそリケジョとか言って、

何だかカッコよさげですが、

当時は、ダサくて男子みたいな女子って感じでしたね。笑

 

ということで、

全く華やかでない高校生活と大学生活を送り、

いよいよ就職活動の年。

 

 

私たちの2歳上くらいまでは、

バブル期で、工学部の就職なんて、

内定8個とかもらえて、選びたい放題でした。


なので、私も苦労もなく、

どこでも就職できると思っていました。

 

 ところが、バブルが崩壊して、突如として就職難に。。


技術職は女子というだけで、

会社訪問すら断られるような、

厳しい時代になってしまいました。

 

私は住宅メーカーに行きたかったので、

どうにか1社内定をもらっていたのですが、


病床の父に、

絶対に公務員がいいからと強く勧められ、

渋々公務員試験を受けました。

 

そんな後ろ向きな出願だったのに

受かってしまったんですね。

それで

豊田市役所に入庁したという次第でございます。

 

 

公務員時代の仕事については、

また書くつもりですが、


とりあえず、

市役所には住宅の仕事はないので

(市営住宅はあったけど、担当部署ではなかった)


保育園、小学校時代

トイレに苦労した経験から

使いたくなるトイレを作ることに

全力を注いでいました。

(便所(女)王って呼ばれてました。笑)

 

その傍ら、常に、自分の家の妄想

(結婚もしてなくて、誰と住むかもわからないのに)


すてきなお店を見たり、

勝手に人の家の写真を撮ったりして

(もちろん外観のみ)


参考にしながら、

自分の家はこんな風にしようなんて考えていました。

それが、ほんとに楽しかった♡

 

 

そして、結婚、出産を経て、

第1子が小学校に上がるまでには、

定住しようということで、

ついに、自分の家を建てることになったんです。

 


敷地内同居の両親の意向もあり

建設時期まで時間があったので、

1年くらいかけて設計していたのですが、

これが正解でした。

 

 

夏には夏の考えがあるし、

冬には冬の考えがある。


冬には思いつかなかったことを

夏に思いついたりするんですね。


中庭でプールやバーベキューやりたいよねとか

模型まで作って、ほんとに楽しかった!

 

お金さえあれば、もう1軒建てたいくらいですが、

それは無理っぽいですので

相変わらず妄想で楽しんでいます。

 

 

当時はこんなサロンをする構想はなかったけど、

趣味で「料理教室ごっこ」をしたいな

と思っていたので

とにかくリビングを広く

というコンセプトで、設計しました。

 

そしたら、サロンをすることになり

チベット体操もすることになり

このためだったのか!

と自分で自分に驚いています。


さらにびっくりなことに、

この家が、大学生の時、

アイソメトリックの練習で書いた家と

そっくりだったんですよ。

 

 

ということで、伏線回収しながら

今、サロンにしている自宅が完成!

小学校の時からの夢が叶いました。

 


【前回の記事】


【次回の記事】


【元公務員の悟りの登山日記シリーズ】



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